騎士道精神という言葉をよく耳にします。
騎士らしく、勇ましく、弱き者は助け、強きものを挫く。
そういった意味で捉えられていますが、実際の騎士道精神とは一体どういったものなのでしょうか?
今回は騎士道について見ていこうと思います。
目次
騎士とはなにか?
そもそも騎士とは何だったのでしょうか?
騎士は貴族の位で言うと、位を持たない貴族という立ち位置でした。
そもそも騎士は馬の維持費や武器、防具などを揃えるのに莫大な費用を要します。
そのため騎士になれるのは資産をもった貴族や豪族でしかなかったのです。
一部の貴族が騎士と名乗っていた時代から、裕福な市民や豪族達が騎士を名乗る時代となり、その後ゲルマン人との戦いや、鐙、蹄鉄の発明により馬上での戦いが出来るようになったことで、次第に戦闘において主役となっていきます。
こうして騎士の華の時代となった時、同時に騎士道も生まれました。
騎士道とは何なのか?
騎士道とは、騎士がどう足るべきかという規範として作られました。
そういった規範が作る必要が有るぐらい、実は騎士というものは荒くれ者ばかりで、裏切りや、略奪、強姦など残虐な存在でも合ったのです。
そういった騎士を抑止するため、倫理規範、無私の勇気、優しさ、慈悲の心といったものを
「騎士道」という形で生み出す必要が有りました。
「騎士たるもの、人から憧れ敬われる存在であれ」 という事ですね。
しかし、騎士道が出来たとは言えそれを遵守するのはとても難しく、その分騎士道を貫いた人物は称賛されるようになりました。
騎士道の概要
では実際に騎士道とはどういったものなのかを見ていきましょう。
騎士道とは、騎士が称賛される特性をまとめたものです。
それは
- 武勇
- 信義
- 寛容
- 敬虔
- 礼儀
でした。
武勇
騎士たるもの、武勇に優れていなければ、騎士の名誉は保てません。
騎士はそれ相応の力を持つ必要が有りました。
信義
信義とは、主従との約束、誓い、契約を守ることです。
ですがそれは相手が裏切れば守る必要は有りませんでした。
寧ろ裏切り者にはそれ相応の復讐をすること。そして自分からは決して裏切らないこと。それが騎士道における信義です。
寛容
騎士たるもの、懐が大きくなければいけません。
けちけちせず、プレゼントや宴会に招いてあげたり、子弟を預かって教育させたりと、気前よくして、自身の懐の大きさを見せてやる必要が有りました。
そうでなければ家臣が離れていってしまうからです。
働く側もケチケチして懐の小さい社長よりも、懐が大きく色々面倒を見てくれる社長の方が良いのは昔も今も同じですね。
敬虔
神を信じて慎ましくすること。
こちらは主に修道騎士の持つ美徳であったようです。
修道騎士は修道士のことで、武力をもって異教徒と戦ったりしていました。
修道騎士は騎士とは付いていますが修道士の事で、本来は騎士では有りません。
が、聖ヨハネ騎士団やドイツ騎士団と名の付くように、やっていたことは殆ど騎士と変わらなかったようです。
礼儀
優雅で美しい所作はそれだけで相手に上品な印象を与え、人々の注目を集めます。
そういった、優美さも騎士には求められていました。
またこれらの他にも騎士の十戒などもあり、時代や場所によって様々な規範が有ったようです。
暴力的な騎士から宮廷ロマンの騎士へ
さて、元々暴力的な騎士を抑えるために作られた騎士道でしたが、次第に宮廷文化が騎士道に入り込み、弱者を保護すること、信仰を守ること、そして貴婦人への献身などが徳目とされます。
今なお続く騎士と姫様の恋物語はこの時に生まれた文化です。
騎士は貴婦人への献身を行うことが美徳とされ、騎士は貴婦人を崇拝し、保護し、心の中だけで愛する存在として登場するようになります。
騎士の愛する相手は自分の主人の奥方であり、奥方は騎士にたいして慈愛を与えなければなりません。そして主人はふたりの関係を知っていながらも、知らない風を装う。
という、何とも言えない文化ですが、「肉体的な愛」は禁じられており、所詮はお遊びな関係でした。
ですが、お遊びを全力でやっているからこそ楽しかったというもので、そんなお遊びに命をかける人も、それはそれで感嘆されたようです。
要は
「自分のために命をかけるあの騎士さま。なんて不幸なのかしら・・・」
「あの人の為に命をかける俺。かっけえ」
と自分自身の境遇に酔っていたんでしょうね。
騎士道まとめ
元々は暴力的で残虐的だった騎士を律するために作られた騎士道ですが、次第に宮廷文化に染まり、ロマン的なものへ変わっていくのは文化の違いを感じられて面白いですね。
最終的に騎士道は宗教的、道徳的、ロマン的なものが全て合わさったものへと変化していきます。
それこそ今日に言われている騎士道となるわけです。